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配偶者の死に泣けないのは異常か|小説永い言い訳にみる人間のずるさ

配偶者の死に泣けないのは異常? 『永い言い訳』のずるさと救い 本(読む・聴く)

世間では「最愛の妻を亡くした悲劇の夫」と美化されがちな物語ですが、本作の本質はそこにはありません。

「配偶者が突然亡くなったのに、涙がひと滴も出ない」 そんな冷え切った夫婦関係のリアルや、人間の心の奥底にあるずるい自己弁護を泥臭く抉り出したのが、西川美和の小説『永い言い訳』です。

この記事では、身近な人の死に直面しても泣けない主人公の心理を徹底考察します。
綺麗事ではない結婚の本音や、他人のずるい思考を覗き見る本作の魅力を独自の視点で紐解いていきます。

小説『永い言い訳』は単なる「美しい悲劇」ではない

■ 小説『永い言い訳』作品情報

  • 著者 西川美和(『蛇イチゴ』『ゆれる』などで知られる映画監督・小説家)
  • 特徴 著者が自ら監督を務め、本木雅弘さん主演で映画化もされた大ヒット作。
    映画版よりも、登場人物たちの内面描写や「ずるい思考」がさらに生々しく描かれているのが小説版の大きな魅力です。

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    家事やウォーキングをしながらの「耳読(みみどく)」にも最適な作品です

なぜ「つまらない」と感じる人がいるのか

本作に対して「つまらない」「退屈だ」と感じる人が一定数存在するのには、明確な3つの理由があります。

主人公への強い嫌悪感と不快さ
主人公の衣笠幸夫(津村啓)は、妻が不慮の事故で亡くなったまさにその瞬間、若い女性と自宅で不倫(浮気)をしていました。
この最低とも言える裏切り行為に加え、妻を亡くした直後であるにもかかわらず、悲しむ素振りすら見せず、自分の体裁やプライド、ネットの評判ばかりを気にする姿に激しい嫌悪感を抱く人は少なくありません。
感情移入ができる綺麗なヒーローを期待すると、彼の身勝手さと不誠実さに物語自体を受け付けなくなってしまいます。

劇的な事件が起きない淡々とした展開
物語の大きな事件は冒頭のバス事故のみであり、それ以降は主人公と遺された家族との交流が静かに、そして淡々と描かれます。
エンタメ作品にありがちなドラマチックな展開や分かりやすい盛り上がりが少ないため、人によっては「ただ退屈で長い時間が流れているだけ」と感じてしまいます。

カタルシスのないリアリティ重視の演出
登場人物たちの感情のズレや、言葉足らずで噛み合わない人間関係が徹底的にリアルに描写されます。そのため、読後にすっきりするような爽快感や、劇的なカタルシス(物語の展開によって、心の中のモヤモヤや不満が一気に解消されてスッキリすること)を求める人には、どうしても物足りなく映ってしまいます。

嫌悪感や退屈さの裏にある小説ならではの面白さ

妻の死亡時に不倫をしていたという最悪の事実からスタートするからこそ、読者は主人公のクズさや肥大化した自意識から一切目を背けられなくなります。
一般的な物語では、観客の共感を得るためにキャラクターの醜さがマイルドに補正されがちですが、本作はその自己弁護や言い訳のプロセスを冷徹に描き出します。

劇的なカタルシスを与えてくれないからこそ、私たちはこれが現実の人間関係の生々しさだと納得せざるを得なくなります。
一見すると退屈に思える淡々とした日常の交流をじっくりと読み解くことで、不倫という裏切りの背景にあった冷め切った夫婦の真実や、登場人物たちの心境の微細な変化が浮き彫りになります。
この不快で退屈なリアルをあえて文字で徹底的に覗き見ることに、本作の唯一無二の価値があるのです。

結婚後に愛情を維持するのは奇跡 幸夫の「泣けない心理」は異常か

冷え切った夫婦関係という冷徹なリアル

世の中には互いをずっと大切に思い合っている夫婦も存在しますが、それは決して当たり前ではありません。
現実の多くの夫婦は、時間の経過とともに相手に対する配慮をなくし、熱が冷めていくものです。
配偶者に愛想を尽かしたり、興味を失ったり、呆れたりすることは、結婚生活においてある意味で当然の帰結といえます。

結婚というシステムの中で、何年もの間ずっと愛情を維持し続けるのは奇跡に近い確率です。
本作で描かれる衣笠幸夫と妻の夏子の関係も、まさにこの冷徹な現実を反映しています。
お互いに期待もせず、関心も薄れている状態は、特別な悲劇ではなく多くの家庭が内包している日常の延長線上にあります。

なぜ幸夫は妻の急死に涙が出なかったのか

妻が突然の事故で亡くなるという強烈な悲劇に直面したとき、どれだけ心が冷め切っていた人でも、世間一般の基準では涙を流し悲しむものと考えられがちです。
しかし、主人公の幸夫は泣くことができませんでした。

幸夫は言葉を専門とする小説家です。
彼は普通の人よりも自分の心を過剰なまでに深く掘り下げ、すべての感情を言葉で理解しようとする性質を持っています。
この高い自意識と客観性が、かえって純粋な感情の爆発を阻害したと考えられます。
自分の冷めた心を凝視しすぎてしまうがゆえに、悲しみの波に身を任せて泣くことができなくなったのです。

このような幸夫の心理は、決して突飛で大変珍しいものではありません。
身近な人を亡くしたときに世間が求めるような悲劇の主人公になれず、感情が追いつかない自分に戸惑う現代人は少なくありません。
幸夫の泣けない姿は、私たちが目を背けたい「本音の合理性」を体現しています。

崩壊する日常の生々しさ 大宮家が描く「母親という歯車」を失った恐怖

洗練されていない超庶民家族のリアルな泥臭さ

主人公である衣笠幸夫の、どこかスタイリッシュで自意識過剰な知識人としての生活とは対照的に描かれるのが、妻の親友の遺族である大宮家です。

大宮家を率いるのは、トラック運転手のご主人です。
彼は教養や洗練された知識、スマートな常識を持ち合わせているわけではなく、良くも悪くも泥臭く下品で、幸夫のようなタイプにとっては最も苦手と感じる「超庶民」の象徴です。

しかし、この飾り気のない家族の描写こそが、物語に圧倒的なリアリティを与えています。
世の中の美化された家族像ではなく、どこにでもいる泥臭い人間たちの営みが、生々しく書き込まれている点に本作の素晴らしさがあります。

しっかり者の看護師だった母親を失った代償

大宮家で命を落とした母親は、看護師として働く非常にしっかりとした女性でした。
その「家庭の絶対的な中心」であり「最大の歯車」だった彼女がいなくなったことで、残された家族の日常の運営は瞬く間に立ち行かなくなります。

父親は仕事のために3日ほど地方へ回って帰ってこられないこともあり、家の機能は完全に崩壊します。そのしわ寄せを一手に引き受けるのが、小学6年生の長男です。
彼は夜遅くまで、まだ保育園に通っている幼い妹の世話を一人でこなさなければならなくなります。

この長男は非常に勉強ができ、私立の中学受験を目指している前向きで良い子です。
そんな健気で努力家な少年が、突如としてヤングケアラーのような過酷な現実に直面する描写は、綺麗事ではない生活の崩壊をまざまざと見せつけます。
この生々しい生活の対比と崩壊のグラデーションこそが、読者の心を強く揺さぶる要素となっています。

なぜ人は他人のために動くのか 100%の善意ではない「他者への介入」

大宮家のお手伝いは「自分のため」でもあったという真理

自分が苦手とするタイプであるトラック運転手の大宮家に対し、幸夫は週に2回ほど保育園のお迎えなどの手伝いに通うようになります。
これは表向きには「遺された困っている家族を助けるため」という善意の行動に見えます。

しかし、彼の動機は100%相手のためだけではありませんでした。
他者を助けるという行為を通じて、幸夫は自分自身の空虚さや罪悪感を埋めようとしていた側面があります。
人間が他者に介入するとき、そこには常に「自分のため」という動機が混ざり合うものです。

こうした複雑な心持ちのまま他人の家族に入り込み、時間を共有するうちに、幸夫の心境には確かな変化が生まれていきます。
良くも悪くも、人間は環境や交わる人間によって変わっていく生き物です。
その変化のプロセスが、大宮家の中にだんだんと浸透していく幸夫の姿を通して非常に丁寧に、そして面白く描かれています。

他人の「ずるい思考」を覗き見る小説ならではの価値

物語の後半、ある苦手な人物がやってくることで、せっかく築き上げた大宮家との関係が引っかき回されていく展開を迎えます。
ここでの登場人物たちの心理描写こそが、本作の真骨頂です。

心の中で思っている身勝手で失礼な本音、都合の悪い現実から逃げようとするずるい言い訳、そして大変なことを人に対してやらかしてしまった後の激しい後悔。
それらのドロドロとした思考が、包み隠さずすべて文章として開示されています。

現実社会において、他人の頭の中にあるこれほど生々しくずるい思考を覗き見ることは絶対にできません。
自分だったらどう行動するかという問いを突きつけられつつ、人間が犯す「ずるさの全貌」を安全な場所から観察できること。
このずるさを含めた人間の思考の移り変わりを徹底的に味わえる点にこそ、本書をわざわざ読むべき大きな価値があります。

結末考察 『永い言い訳』というタイトルが示すラストの意味

物語のラスト、幸夫は自分自身の「歪んだ自意識」や「ずるさ」と真っ正面から向き合い、ある一つの区切りを迎えます。
彼が費やした時間は、まさに妻の死に対する、そして自分自身の生き方に対する「永い言い訳」そのものでした。

私たちは誰しも、人に対して大変なことをやらかしてしまったり、自分のずるい本音に直面したりしたとき、心の中で無意識に自己弁護(言い訳)を重ねて生きています。
本作が描いたのは、特別な人間の特殊な悲劇ではなく、誰もが心に飼っている「ずるくて弱い自分」の姿です。

配偶者の死に直面しても、世間が望むように綺麗に泣けないことは決して異常ではありません。
人間関係はそんなに単純なものではなく、冷め切った本音や、簡単には割り切れない複雑な心理があって当然だからです。

幸夫が泥臭い他者との交わりの中で少しずつ変わっていったように、人間はどれだけずるくても、やらかしてしまっても、そこからまた変化していくことができます。
自分の醜い思考から目を背けず、永い言い訳を終えた先にある微かな光。
それこそが、この小説が私たちに提示してくれる本当の救いです。

現実では決して覗くことのできない「他人の頭の中のずるさ」を徹底的に擬似体験し、自分の生き方を見つめ直す。
その深い読書体験を得るためだけでも、本書を今あえて読む価値は十分にあります。

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