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タイトルで敬遠していた50代の私が『暗殺教室』で号泣して得たもの

『暗殺教室』で号泣した理由 映画・ドラマ・アニメ

『暗殺教室』というアニメを知っていますか。

おそらく、私と同じ年代(50代)の方であれば、ほとんどの方が知らないと答えるのではないでしょうか。
私も息子から勧められるまでは、その物騒なタイトルを聞いただけで、自分が見るような作品ではないと敬遠していました。

しかし、実際に視聴を始めると、その不安はすぐに作品への深い興味へと変わっていきました。
この記事では50代の私がなぜこの作品に魅了され、最後にはティッシュの山を作るほど号泣してしまったのか、その理由を綴ります。
タイトルだけで敬遠している同世代の方にこそ知ってほしい、大人に刺さる物語の真価についてお伝えします。

『暗殺教室』とはどのような物語か

原作は松井優征氏による漫画作品で、『週刊少年ジャンプ』に連載されていました。
アニメ版は2015年に第1期、2016年に第2期が放送されています。

物語の舞台は、名門進学校の中にある「エンドのE組」と呼ばれる落ちこぼれクラス。
そこへある日、月を7割も破壊し、翌年には地球をも破壊すると宣言した謎の超生物が、なぜか担任教師としてやってきます。

軍隊でも殺せないその怪物を、生徒たちは卒業までに暗殺することを政府から命じられます。
成功報酬は100億円。
教室という日常の中に、暗殺という非日常が同居する奇妙な1年間の物語です。

一見すると突飛な設定ですが、この作品が多くの人に支持される理由は主に3つあります。

  • ギャグとシリアスの絶妙なバランス
    普段は笑えるコミカルな展開でありながら、時折ハッとするようなシリアスな人間ドラマが展開されます。
  • キャラクターの成長
    劣等感を抱えていた生徒たちが、暗殺という目標を通じて自信を付け、自分の才能を開花させていく姿は胸を熱くさせます。
  • 師弟関係の深さ
    ターゲット(先生)と暗殺者(生徒)という特殊な関係でありながら、そこには誰よりも深い信頼と愛情が存在しています。

息子の一言から始まったマッハ20の授業

私がこの作品を見ようと決めたのは、息子からの何気ない一言がきっかけでした。
友人に誘われて劇場版(総集編)のアニメ映画を観に行くことになった息子が、その予習として先にテレビシリーズを全て視聴し、「思わず泣いてしまった」と話してくれたのです。

大学生の息子をそこまで感動させたものは一体何なのか。
そんな好奇心に背中を押され、私はネットフリックスの再生ボタンを押しました。

息子が勧めてくれなければ、私はこの素晴らしい物語に出会うことなく、食わず嫌いのまま過ごしていたに違いありません。

理想の先生は黄色くて丸い姿をしていた憎めないキャラクター

画面の中にいたのは、月を爆破した恐ろしい犯人ではなく、どこか愛嬌のある黄色い生き物でした。
もともと黄色という色が好きな私にとって、その鮮やかなフォルムと温かみのある話し方は、最初から非常に好ましく感じられました。

殺せんせーという名前の通り、彼はマッハ20で空を飛び、あらゆる攻撃を回避する超生物です。
しかし、その実態は非常に教育熱心で、生徒一人ひとりの個性を何よりも尊重する理想的な教師でした。

たまに見せる隙のある姿や、おっちょこちょいな一面。
完璧すぎないからこそ、大人の私から見てもどこか憎めない、親しみやすいキャラクターとして心にすっと入ってきたのです。

3年E組の生徒全員が「主人公」である素晴らしさ

一般的な学園ドラマやアニメでは、どうしても特定の一部のキャラクターだけにスポットが当たりがちです。
しかし『暗殺教室』の驚くべき点は、3年E組の生徒28人全員に、それぞれの見せ場と成長の物語が用意されていることです。

クラスの中には、当然ながら目立たない子や、自分に自信を持てない子もいます。
しかし殺せんせーの目は、そんな生徒一人ひとりに対して驚くほど平等に向けられています。

誰一人として「背景」に追いやることなく、それぞれの得意分野や抱えている悩みを見抜き、その子にしかできない役割を与えていく。
そんな殺せんせーの公平な眼差しと、それに応えて全員が輝き始める姿に、私は深い感動を覚えました。

リビングで息子と共有した静かな感動

物語が核心に迫るにつれ、奇妙な暗殺の時間はかけがえのない教育の時間へと姿を変えていきました。
最終回を迎えた日(午前中でした)、私はPCの前で自分でも驚くほど涙を流していました。

テーブルの上に積まれたティッシュの山を見て、目を覚ましてリビングに入ってきた息子は驚いていましたが、画面を見て状況を察したようです。
彼もまた、同じ物語に触れて深く心を動かされたことをニヤニヤしながら話してくれました。

50代の母親と、大学生の息子。
世代は違えど、同じ物語に触れて同じ場所で涙を流す。
アニメという文化が、私たち親子の間に共通の温かい記憶を刻んでくれた忘れられない瞬間でした。

相手をちゃんと見ることの難しさと大切さ

物語の終盤、殺せんせーの過去が明かされる中で強く感じたのは、大人が子供を「ちゃんと見る」ことの重みです。

(ここからネタバレを含みます)

かつての彼は、目の前の教え子を正しく見つめていなかったという深い後悔を抱えていました。
その反省があるからこそ、新しく担任となった3年E組では、生徒一人ひとりの弱点や可能性を、命を懸けて見守り続けたのです。

現実の人間には彼のような超人的な力はありませんが、相手が何を思い、何に苦しんでいるのかを丁寧に見ようとする姿勢は、親としても、一人の大人としても必要なことだと痛感しました。
実際には疲れていたり、体力が残っていないなどの理由で簡単にはできませんが・・・

理想と泥臭さが混ざり合った彼の指導には、今の社会が忘れかけている大切な温もりが宿っています。

妥協できなかったあの日の中学生だった自分だったら?

この物語を観終えて、私の心に真っ先に浮かんだのは、かつて中学生だった頃の自分自身の姿でした。

当時の私は、先生方とも仲が良く、大人の目から見ても「真面目な生徒」だったと思います。
周囲の方々にはしっかりと見守ってもらえていましたし、恵まれた環境にいたという自覚もありました。

けれど、頑固な面もあり、全員参加の部活動を最後まで迷っていた記憶があります。
どの部活も参加したいとは思えない・・・
しかも運動はあまり好きじゃない。
でも部活といえばやはり運動部がメイン。
どうしよう・・・

そんな風に、決められた枠組みの中で「自分に合うもの」が見つけられず、人知れず悩んでいたあの頃の私に、殺せんせーなら何と言ってくれたでしょうか。

きっと彼は、私の運動嫌いを笑うことも、真面目すぎる頑固さを否定することもしなかったはずです。
むしろ「それは君だけのこだわりですね」と、マッハの速さで私の適性を見抜き、運動部でも文化部でもない、私にしか歩めない「第三の選択肢」を面白がって提案してくれたかもしれません。

ちなみに、うまい具合に(?)足を怪我したおかげで運動部を辞めることになり、最終的に演劇部に落ち着きました。
ここには今で言うところの、陰キャの生徒ばかりが集まっていました(笑)

そこにいたのは、派手さはないけれど、自分の好きなことに熱中できる心地よい仲間たち(先輩)でした。
今思い返せば、無意識に周りの目を気にして「メイン」の部活を探していたのだと思います。
自分が自分らしくいられる場所を自力で見つけ出したのは、本当にラッキーでした!
その経験は、今の私の価値観にも繋がっている気がします。

殺せんせーが3年E組の生徒たちに教えたのも、まさにそういうことだったのではないでしょうか。 世間が決めた「正解」に自分を合わせるのではなく、自分の持ち味を武器に変えて、自分だけの場所で生き抜いていくということ。

これを見つけるのは早いほうがいい。
中学3年の間に、その準備を1人1人に行っていた殺せんせー、最高です!

まとめ

最初は「中学生が暗殺なんて」と、タイトルの第一印象だけで敬遠していた『暗殺教室』。
しかし、いざ蓋を開けてみれば、そこには世代を問わず心に響く、本質的な「教育」と「愛」の物語が詰まっていました。

大学生の息子が流した涙の理由を知りたくて見始めたはずが、気がつけば私自身が、かつての中学生だった自分と再会し、温かいエールを受け取ることになりました。

もし、かつての私のように「自分には合わない」と決めつけている方がいたら、ぜひ一度、真っさらな気持ちでこの物語に触れてみてください。
そこにはきっと、あなたの凝り固まった心を解きほぐしてくれる、黄色くて丸い「理想の先生」が待っているはずです。

タイトルの印象で敬遠していた50代の私が、『暗殺教室』で号泣して得たもの
タイトルで敬遠した人ほど見てほしい!50代の私が暗殺教室で号泣

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